「龍光山 釜滝薬師金剛寺」について
当山の創建は、天長十二年(835)人皇五十三代淳和天皇の御代、山城国天台山慈覚大師(円仁)がこの地に来り、山下の釜ノ淵の奇瑞に感じ一刀三礼木像を刻みこれを当山に安置した。この像は本尊薬師如来である。創建当時は現在の寺院の側にある小高い丘に草庵を結び、そこに本尊を安置していたが鎌倉時代の初めごろ、泉州(大阪府)日根野のシナという人が本尊に帰依することを厚く、この人の寄進で伽藍を建立、ここに本尊を移した。脇士二躰は作者不詳であるが、天保二年(1645)仏工を招いて修覆しようとしたが成らず後高野山の良雲密師が補修を加えて開眼した。
天正年間(1573~1591)織田信長の根来攻めに当たって兵火にかかり本堂は焼失した。その後150年間の消息は詳らかではないが、享保二十年(1735)二月八日高野山唯心院一世、阿遮梨快応が入寺してから、再建を志し16年間の艱難苦心を積み、宝暦三年(1753)三月八日本堂を落成した。棟梁は粉川の太郎作である。
平成二年(1990)山門の新築・本堂の修復を加え現在に至る。什物として薬師如来本願功徳経一巻があり弘法大師筆といわれる。
「釜滝の甌穴」について
釜滝薬師金剛寺のある当山より約800メートル下流、貴志川の分流真國川の鶴の崖一帯の流れの中に、大小無数の甌穴群(おうけつ:川の流れが渦巻き状になることより石や砂が同じところを循環し、 川底の岩盤と接触して侵食されてできた丸い穴岩などにできる円形のくぼみ)が県指定の天然記念物「釜滝の甌穴」である。この甌穴は数千年にも及ぶ長い年月の間にわたり真国川の急流によってつぎつぎと河床の小石がえぐられ転流し、岩石面を削って穴ができ、次第に大きくなり深さを増しました。
釜滝薬師金剛寺は、天長十二年(835)に慈覚大師・円仁がこの地に赴き、山下にある釜の淵にできたこの「甌穴」の神秘さに心を打たれ、一刀三礼木像を刻み、その木像(薬師如来)をご本尊に安置したことが始まりといわれています。
釜滝薬師「薬師如来像」について
「高野長峰霊場」について
かつて、平安時代に弘法大師が高野山を開山して以来、多くの人々に高野信仰が広まりました。
そこに至る道の一つとして、現在の国道370号は高野西街道と呼ばれ参拝する人々が往来してしました。この街道沿いに点在する高野山真言宗の十ヶ寺が高野長峰霊場をつくり、参拝者の健康長寿をお祈りしています。
紀美野町にはこの高野長峰霊場の第三番札所から第十番札所があります。釜滝薬師金剛寺はこの霊場第五番札所として知られています。各札所を巡り、この地の歴史に触れながら心の安らぎと五体の健康を祈願してみましょう。
※紀美野町「きみの観光サイト」より